「住む町から仕事と観光が生まれる町へ」前編― 篠栗町長 │ 三浦正が挑んだ50億円プロジェクト ―

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街路樹が植えられた自治体の街並み

地方創生という言葉が定着して久しい。だが、その多くは「成功事例」として語られ、意思決定の過程が十分に共有されることは少ない。本連載では、福岡県篠栗町が進める「観光型食品産業団地」開発を題材に、自治体がどのようにリスクを引き受け、意思決定を重ねてきたのかを追う。町長・三浦正の決断、鹿島建設、オオバ、CBREといった民間パートナーとの協働、そして現場で起きた数々の困難。「住む町」から「仕事と人が集まる町」へ。その転換は、どのようにして実現したのか。本連載では、そのプロセスを複数回にわたってひも解いていく。

 

 

 

 

 

 

「議会から『騙したやろ!』って言われました」

元銀行員の町長は、目を細めて笑った。だが、その笑いは軽くない。
町の未来と数十億円のリスクを同時に背負った者にしか分からない、緊張と覚悟があった。

もし、企業が誘致に乗らなければ財政はどうなるのか。
もし、計画が途中で頓挫すれば町の未来はどうなるのか。
それでも、やるしかなかった。

九州の小さな町が、前例のない「観光型食品産業団地」に挑戦した。

三浦正 篠栗町町長三浦正 篠栗町町長=2026年4月9日

現地で見えた 10年の変化

構想から約10年。篠栗北地区産業団地は「人が来る場所」になっていた。

JR篠栗駅から北へ車で約10分。市街地を抜け、道は傾斜を増していく。
最初は通勤車両が中心だった流れに、違和感が混じる。大型トラックに混じって、ファミリーカーやレンタカーが増えていく。一般的な工業団地に向かう道としては、どこか異質だ。

やまやファクトリーテラスに着くと、来場者用駐車場はほぼ満車だった。平日の昼間、しかも雨。長期休暇や行楽シーズンでもない。
それでも、福岡ナンバーが多い。遠方からの観光だけではなく、日常の延長で訪れている人たちが多いのだろう。
中に入ると、レストランとショップが賑わっている。若者グループ、家族連れ、年配夫婦。「大人がわざわざ来ている」空気がある。一度きりの観光地ではなく、人々の「目的地」になっているのが分かる。

やまやファクトリーテラスからの眺望やまやファクトリーテラスからは篠栗町が一望できる=2026年4月9日

食品産業団地マップやまやファクトリー内にある食品産業団地マップ。篠栗町の広報誌も配架されていた=2026年4月9日

さらに、篠栗珈琲焙煎所。
日本庭園のアプローチから店内に入ると、コーヒーの香りとともに、重厚な絵画が存在感を放つ。まるで美術館だ。
カフェスペースのガラスの向こうには、焙煎室がある。銀色に輝く、イタリア製の巨大な焙煎機。職人たちの所作。すべてが「見せる設計」になっている。コーヒーを飲むというより、全身で体験する場所だった。

篠栗珈琲焙煎所コーヒーの香りが漂う篠栗珈琲焙煎所=2026年4月

「人が来る場所」はすでに実装されている、と確信する。
その印象を三浦町長にぶつけると、即座にこう返ってきた。
「『食』にしたら人は来るんですよ。観光も労働も。最初から狙いはそこでした。人が定期的に行き来する産業団地にしないといけないと思っていました」
産業団地内では、外国籍の人も多く目にする。
「工場ができて海外の人は増えました。観光はもちろん、労働者として町にいるんです」
篠栗町では、人口の約1.3%、400人を超える外国人住民が暮らしている(2026年4月現在)。

住む町から、仕事と観光が生まれる町へー。
観光型食品産業団地づくりの背景には、三浦の明確な意思決定と協働者の存在があった。

原点は銀行員

三浦は銀行員出身だ。
融資先の企業を訪ね、決算書を読み、資金繰りを見る。「この会社が成立するか」を判断する仕事だった。
ある企業で、数字上は融資が難しい案件があった。だが現場や地域を見て、三浦は判断した。「この会社は、まだ終わっていない」
結果、その企業は持ち直した。
人事担当部署の在籍も長く経験した。人を見る目が洗練されていった。
こうした経験の積み重ねが、三浦の意思決定の原点になっている。

地方銀行に25年勤めた後、初めて経験する行政の世界でも、その発想は変わらなかった。
安全にやるのではなく、成立する形でやる。職員や議員の考え、能力をじっくり考察する。地域のためになるかどうかを判断する。

運命の決断

三浦が銀行を辞めて町長になったのは、偶然ではない。
当時、篠栗町は構造的な問題を抱えていた。
国の政策として進められた臨時経済対策事業。交付税で手厚く補填される仕組みのもとで、町は当初予算に匹敵する規模の公共事業を一気に進めていた。

「70億円ぐらいの予算規模の町が、同額の工事をやっていたんですよ」

一見すると合理的に見える。だが、三浦は違和感を覚えた。交付税で戻ってくるのは一定期間だけ。一方で、借金の返済は長期にわたる。

「これ、おかしいやろって思っていたんですよね」

実際には、返済を先送りしながら事業が積み上がり、将来世代に負担が残る構造になっていた。町の行く末に不安が膨らむ住民も少なくなかった。そんな中、地元の関係者から声がかかる。
「三浦がおるやん」
銀行員として働く傍ら、PTA会長や社会教育委員として地域に関わっていた三浦に対して、「町長選に出馬してくれ」という打診だった。

決断は、簡単ではなかった。安定した職を捨てることになる。キャリアもゼロからだ。三浦はこう振り返る。
「やっぱりこの町のことが好きやったし、町長とかじゃなくても、いつかは地域のために何かしたいなと思っていた」

家族の反応はさまざまだった。母は「何言うてんの、あんた」と戸惑いを見せた。一方で妻は、あっさりと背中を押した。「面白そうって思うんなら、やればいいやん」

この決断が、すべての始まりだった。
2004年、現職との一騎打ちを制して町長に初当選した。

舵を切った 演習林買収

町長に就任してまず取り組んだのは、借金の整理だった。
前政権から引き継いだ財政構造を立て直すために、8年をかけて負債の圧縮に取り組んだ。2期目を終える頃、ようやく次の一手を打てる状況になる。
「まずは、借金を返すしかないと思っていました。3期目から舵を切ろうと思ったんです」
その、舵を切る一手こそが篠栗北地区産業団地の開発だった。

篠栗町は人口約3万人。しかし法人税収は低かった。
「働く場所、人が集まる場所がない町だったんです」
隣町より人口が多いのに、税収は少ない。構造的に負けていた。さらに国の制度も時代とともに変わっていく。
「お金は頑張る自治体に配分される」
いま何もしなければ、町が確実に沈むのが目に見えていた。

2015年、九州大学(福岡市)から声を掛けられ、町内にあった演習林17haを買収した。だが、用途は未定だった。
「買ったはいいけど、何をするか決まっていなかった」
当初はバイオマス構想があり、補助金も取った。しかし、誰がバイオマス事業を運営していくのか。足が止まった。
計画だけでは前に進まない。ここで三浦は発想を変える。
「町の未来のために、人が来る仕組みをここにつくろう」

演習林上空写真と三浦町長買収した演習林の上空写真を見ながら当時を振り返る三浦正町長=2026年4月9日


三浦 正(みうら ただし)
福岡県篠栗町長。1954年、篠栗町生まれ。福岡銀行勤務を経て、50歳で退職し、2004年に篠栗町長選挙へ出馬、初当選。以来6期にわたり町政を担う。福岡市に隣接しながら豊かな森林と篠栗四国八十八ヶ所霊場を有する町の特性を生かし、「森林セラピー基地」認定や食品系工業団地整備、脱炭素・バイオマス構想など、持続可能なまちづくりを推進。「日本一個性のある町」を掲げ、自然環境と地域資源を活かした地域経営に取り組む。学生時代はラグビーに親しみ、現在も書をたしなむ。


【あわせて読みたい:「住む町から仕事と観光が生まれる町へ」後編】
巨額の投資、前例のない官民連携、そしてコロナ禍。
篠栗町はいかにして、このプロジェクトを前へ進めたのか。
後編では、計画を現実へと変えていった現場の葛藤と、三浦町長が最後まで貫いた「自治体経営」の哲学に迫る。
「住む町から仕事と観光が生まれる町へ」後編― 篠栗町長 │ 三浦正が挑んだ50億円プロジェクト ―

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