ボタ山を、町の未来に変える ― オオバ・福地三徳氏が語る、篠栗北地区産業団地 ―

オオバ・福地三徳氏
街路樹が植えられた自治体の街並み

【シリーズ「篠栗北地区産業団地は、どうやって生まれたのか」】
福岡県篠栗町の「篠栗北地区産業団地」開発。
町長の決断、民間企業との協働、企業誘致、そして構想の源流。

本シリーズでは、このプロジェクトに関わった人々へのインタビューを通じて、町の未来がどのようにつくられていったのかを追う。

シリーズ第1回 三浦正町長インタビュー


「オオバは、本当に町職員みたいに働いてくれました。」
前回、福岡県篠栗町の三浦正町長はそう振り返った。
二日に一度は役場へ来る。県窓口へ出向き、警察署へ足を運ぶ。住民説明会を開く。
「そうですね、もう町職員みたいなものでした」
「ラグビーの先輩である三浦さんとの縁を感じて、頑張りたかった」
そう言って笑うのが、株式会社オオバで当時、篠栗北地区産業団地のプロジェクトを担当していた福地三徳氏である。
開発計画、造成設計、開発許可、行政協議。
三浦町長が描いた未来を、現実の土地へ落とし込んでいった実務者の一人だ。
しかも、その土地は「普通の土地」ではなかった。

町職員ではないけれど

役場で定期開催する会議では当初、町幹部職員から厳しい声が飛んだ。
「どうなっているんだ!」
鋭い視線が、福地に集まる。空気が張り詰める中、三浦町長が口を開いた。
「それは町の内部の問題だろう。コンサルタントの福地さんに言う話じゃない」
福地氏は、その場面を今でも覚えている。
「こんなリーダーはいないと驚きました。役割を明確にしてもらい、あの一言でやりやすくなったんです」
実際、福地氏は二日に一度は役場へ通った。
産業団地の土台となる土地や工事の許認可のために、県、警察へ出向く。地域の理解を得るために、住民向け説明会を開く。
町の担当者とも分科会を重ね、関係機関との協議を積み上げていく。
「施主のために全力を尽くすのがコンサルタント。もう、町職員みたいな気構えでした」
行政と民間。立場は違うけれど、向いている方向は同じだった。
町の未来をつくる。
その一点だけは、誰もぶれていなかった。

普通の土地じゃなかった

「初めて現場を見た時、めちゃくちゃポテンシャルの高い場所だと思いました。」
福岡都市圏に近く、交通条件もいい。
企業立地として考えれば、十分に魅力があった。
「でも、普通の土地じゃなかったんです。」
この土地は、ボタ山(※1)だった。かつて炭鉱で栄えた町の記憶が、そのまま開発の制約として残っていた。
造成した土(ボタ)を外へ持ち出せば、産業廃棄物として扱われる。
約17ヘクタールの敷地の中だけで切土と盛土を成立させながら、高低差を処理。さらに、道路を二方向につなぎ、企業が使いやすい土地に仕上げなければならなかった。
普通なら全部平らにするところだが、それができない。その結果、無機質なグレーの擁壁が土地いっぱいに広がる。
「味気の無いコンクリートを、見せたくなかったんです」
どうすれば、擁壁を目立たせず、人が歩きたくなる景観と効率的な造成を両立できるか。
福地氏は、擁壁と法面の組合せ・配置を工夫し、植栽を加え、高台の建物へ視線が抜けるように設計した。産業団地周辺の既存店舗や住宅とのバランスも考慮した。
完成した景色は、自由な発想から生まれたものではない。
技術力と経験を基に、真摯に向き合い続けた先に、生まれた景色だった。

※1: 「ボタ」とは九州地方の炭坑で使われた言葉。石炭を掘り上げた時に出た土(ボタ)を積み上げたものが「ボタ山」と呼ばれる。

当時使われていた、篠栗産業団地の3次元パース当時使われていた、篠栗産業団地の3次元パース=福地氏提供

正解のない仕事

工事が進むほど、新しい課題が現れた。
法面補強、地盤対策、調整池。
技術的な難しさもあったが、本当に難しかったのは、その先の合意形成だった。
住民は「もっと安全に」と言う。行政は基準を示し、専門家は知恵を貸してくれる。
けれど、その間に立つ人に、本当の正解を教えてくれる人はいなかった。
「結局ね、誰も『いいですよ、それで行きましょう』とは言わないんですよ」
福地は、苦笑しながら当時を振り返る。
基準は満たしている。安全側に寄せれば事業費は膨らむが、費用を抑えれば不安が残る。
どちらかだけを選ぶことはできなかった。
「ここまで二重三重に安全性と事業性のバランスを検討しています。と言い続け、粘り強く理解を求めることが技術者の誠意です」
設計とは、図面を描くだけの仕事ではなかった。
技術を言葉に変え、不安を納得へ変え、人と人の間をつないでいく仕事だった。

人が来たくなる理由

造成と並行して、プロジェクト関係者たちは北海道余市町を訪れた。
町のアーケード街を歩くと静かで、店舗のシャッターは下りている。
それでも、余市のウイスキー工場だけは違った。
観光客で賑わい、売店には人が集まり、町の空気がそこだけ熱気を帯びていた。
「本当にこれだけで余市という町が成立っているんだなと感動しました。」

篠栗でも、同じことができないだろうか。
「食品系工場って、やっぱりワクワクするじゃないですか」
工場を見学して、できたてを味わい、買い物をして帰る。
「家族も連れて行きたくなるし。」

雇用創出、定住促進、地域経済活性化。
福地は産業団地の波及効果を、そう整理する。
その三つをつなぐものが、「人がまた来たくなる理由」だった。

どうすれば「人が来たくなる」仕組みになるか。考えていた時に、三浦町長から言われた言葉がある。
「本社機能を持ってくるんだ」
なぜですか、と尋ねると、三浦町長はこう答えたという。
「本社があるところに、税金が落ちるでしょう。企業も町もwinwinになる」
企業の本社がある自治体は、税収が潤う。それを、新設する産業団地で実現しようというのだ。
「町長のアイデアは、まちづくり戦略として、すごいじゃないですか。」
人が住み、働き、訪れる。そして、地域に税金が循環する。
篠栗北地区産業団地は、工場を集めるための場所ではなく、本気で町の未来をつくるための場所だった。

土地利用計画平面図。企業が立地する6区画が分かる土地利用計画平面図。企業が立地する6区画が分かる=福地氏提供

景色をつくった、その先へ

造成工事が終わり、道路がつながり、企業を迎え入れる準備は整った。
しかし、まだゴールではない。企業が来て、人が集まって初めて、町の未来が見える。
福地は、その頃には東京へ異動していたが、篠栗の話は耳に入ってきた。
コロナで企業の判断が止まったこと。思うように誘致が進まなかったこと。それでも、プロジェクト関係者が歩みを止めなかったこと。

数年後、家族と一緒に現地を訪れた。
やまやのレストランには人が並び、カフェを併設した篠栗珈琲焙煎所が街の雰囲気をつくり、買い物袋を持った家族連れが歩いていた。企業の従業員たちが、忙しなく働いていた。
人々の日常として、篠栗北地区産業団地が使われていたのだ。

その光景を目の当たりにした時のことが、忘れられない。
「かっこいいじゃないですか。」
少し間を置いて、こう続けた。
「このプロジェクトに参加して、あきらめずにやってよかったなと思いました」
図面の上にしかなかった構想に、人が集まっていた。そのことに、ようやく実感が追いついた。

帰り際、妻がぽつりと言った。
「お父さん、すごいね」
福地は、その時のことを思い出して少し笑った。
「あれは、嬉しかったですね」

町長が決断し、実務者たちが形にした。
それだけでは町は変わらない。
場所とは、誰かに価値を見つけてもらって初めて動き出す。
篠栗北地区産業団地も、まさにそうだった。

「地域の本質課題に向き合う開発の必要性を再確認した」と振り返る福地氏「地域の本質課題に向き合う開発の必要性を再確認した」と振り返る福地氏=2026年5月


福地 三徳(ふくち・みつのり)
株式会社オオバ 執行役員、東京支店副支店長。
1969年、鹿児島県生まれ。佐賀大学卒業後、オオバ(総合建設コンサルタント)に入社。
東京、九州で都市開発やまちづくり事業に携わり、篠栗北地区産業団地開発では九州支店まちづくり部担当部長として、開発計画、造成設計、許認可協議など実務全般を担った。その後、2016年の熊本地震、2024年の能登半島地震の復興支援に携わる。
趣味はラグビーと仲間との語らい。


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