行政の取り組み

「住む町から仕事と観光が生まれる町へ」― 篠栗町長 │ 三浦正が挑んだ50億円プロジェクト ―

作成者: steer株式会社|May 31, 2026 11:10:19 PM

地方創生という言葉が定着して久しい。だが、その多くは「成功事例」として語られ、意思決定の過程が十分に共有されることは少ない。本連載では、福岡県篠栗町が進める「観光型食品産業団地」開発を題材に、自治体がどのようにリスクを引き受け、意思決定を重ねてきたのかを追う。町長・三浦正の決断、鹿島建設、オオバ、CBREといった民間パートナーとの協働、そして現場で起きた数々の困難。「住む町」から「仕事と人が集まる町」へ。その転換は、どのようにして実現したのか。本連載では、そのプロセスを複数回にわたってひも解いていく。

「議会から『騙したやろ!』って言われました」

元銀行員の町長は、目を細めて笑った。だが、その笑いは軽くない。
町の未来と数十億円のリスクを同時に背負った者にしか分からない、緊張と覚悟があった。

もし、企業が誘致に乗らなければ財政はどうなるのか。
もし、計画が途中で頓挫すれば町の未来はどうなるのか。
それでも、やるしかなかった。

九州の小さな町が、前例のない「観光型食品産業団地」に挑戦した。

三浦正 篠栗町町長=2026年4月9日

現地で見えた 10年の変化

構想から約10年。篠栗北地区産業団地は「人が来る場所」になっていた。

JR篠栗駅から北へ車で約10分。市街地を抜け、道は傾斜を増していく。
最初は通勤車両が中心だった流れに、違和感が混じる。大型トラックに混じって、ファミリーカーやレンタカーが増えていく。一般的な工業団地に向かう道としては、どこか異質だ。

やまやファクトリーテラスに着くと、来場者用駐車場はほぼ満車だった。平日の昼間、しかも雨。長期休暇や行楽シーズンでもない。
それでも、福岡ナンバーが多い。遠方からの観光だけではなく、日常の延長で訪れている人たちが多いのだろう。
中に入ると、レストランとショップが賑わっている。若者グループ、家族連れ、年配夫婦。「大人がわざわざ来ている」空気がある。一度きりの観光地ではなく、人々の「目的地」になっているのが分かる。

やまやファクトリーテラスからは篠栗町が一望できる=2026年4月9日

やまやファクトリー内にある食品産業団地マップ。篠栗町の広報誌も配架されていた=2026年4月9日

さらに、篠栗珈琲焙煎所。
日本庭園のアプローチから店内に入ると、コーヒーの香りとともに、重厚な絵画が存在感を放つ。まるで美術館だ。
カフェスペースのガラスの向こうには、焙煎室がある。銀色に輝く、イタリア製の巨大な焙煎機。職人たちの所作。すべてが「見せる設計」になっている。コーヒーを飲むというより、全身で体験する場所だった。

コーヒーの香りが漂う篠栗珈琲焙煎所=2026年4月

「人が来る場所」はすでに実装されている、と確信する。
その印象を三浦町長にぶつけると、即座にこう返ってきた。
「『食』にしたら人は来るんですよ。観光も労働も。最初から狙いはそこでした。人が定期的に行き来する産業団地にしないといけないと思っていました」
産業団地内では、外国籍の人も多く目にする。
「工場ができて海外の人は増えました。観光はもちろん、労働者として町にいるんです」
篠栗町では、人口の約1.3%、400人を超える外国人住民が暮らしている(2026年4月現在)。

住む町から、仕事と観光が生まれる町へー。
観光型食品産業団地づくりの背景には、三浦の明確な意思決定と協働者の存在があった。

原点は銀行員

三浦は銀行員出身だ。
融資先の企業を訪ね、決算書を読み、資金繰りを見る。「この会社が成立するか」を判断する仕事だった。
ある企業で、数字上は融資が難しい案件があった。だが現場や地域を見て、三浦は判断した。「この会社は、まだ終わっていない」
結果、その企業は持ち直した。
人事担当部署の在籍も長く経験した。人を見る目が洗練されていった。
こうした経験の積み重ねが、三浦の意思決定の原点になっている。

地方銀行に25年勤めた後、初めて経験する行政の世界でも、その発想は変わらなかった。
安全にやるのではなく、成立する形でやる。職員や議員の考え、能力をじっくり考察する。地域のためになるかどうかを判断する。

運命の決断

三浦が銀行を辞めて町長になったのは、偶然ではない。
当時、篠栗町は構造的な問題を抱えていた。
国の政策として進められた臨時経済対策事業。交付税で手厚く補填される仕組みのもとで、町は当初予算に匹敵する規模の公共事業を一気に進めていた。

「70億円ぐらいの予算規模の町が、同額の工事をやっていたんですよ」

一見すると合理的に見える。だが、三浦は違和感を覚えた。交付税で戻ってくるのは一定期間だけ。一方で、借金の返済は長期にわたる。

「これ、おかしいやろって思っていたんですよね」

実際には、返済を先送りしながら事業が積み上がり、将来世代に負担が残る構造になっていた。町の行く末に不安が膨らむ住民も少なくなかった。そんな中、地元の関係者から声がかかる。
「三浦がおるやん」
銀行員として働く傍ら、PTA会長や社会教育委員として地域に関わっていた三浦に対して、「町長選に出馬してくれ」という打診だった。

決断は、簡単ではなかった。安定した職を捨てることになる。キャリアもゼロからだ。三浦はこう振り返る。
「やっぱりこの町のことが好きやったし、町長とかじゃなくても、いつかは地域のために何かしたいなと思っていた」

家族の反応はさまざまだった。母は「何言うてんの、あんた」と戸惑いを見せた。一方で妻は、あっさりと背中を押した。「面白そうって思うんなら、やればいいやん」

この決断が、すべての始まりだった。
2004年、現職との一騎打ちを制して町長に初当選した。

舵を切った 演習林買収

町長に就任してまず取り組んだのは、借金の整理だった。
前政権から引き継いだ財政構造を立て直すために、8年をかけて負債の圧縮に取り組んだ。2期目を終える頃、ようやく次の一手を打てる状況になる。
「まずは、借金を返すしかないと思っていました。3期目から舵を切ろうと思ったんです」
その、舵を切る一手こそが篠栗北地区産業団地の開発だった。

篠栗町は人口約3万人。しかし法人税収は低かった。
「働く場所、人が集まる場所がない町だったんです」
隣町より人口が多いのに、税収は少ない。構造的に負けていた。さらに国の制度も時代とともに変わっていく。
「お金は頑張る自治体に配分される」
いま何もしなければ、町が確実に沈むのが目に見えていた。

2015年、九州大学(福岡市)から声を掛けられ、町内にあった演習林17haを買収した。だが、用途は未定だった。
「買ったはいいけど、何をするか決まっていなかった」
当初はバイオマス構想があり、補助金も取った。しかし、誰がバイオマス事業を運営していくのか。足が止まった。
計画だけでは前に進まない。ここで三浦は発想を変える。
「町の未来のために、人が来る仕組みをここにつくろう」

買収した演習林の上空写真を見ながら当時を振り返る三浦正町長=2026年4月9日

協働で見えた 町の未来

設計、開発許可、企業誘致。産業団地を形にするためのノウハウが、町にはなかった。
「小さな町に、数十億円規模のプロジェクトを経験したことがなかったんです」

そこで三浦が選んだのが、パブリック・プライベート・パートナー(PPP)の手法だ。専門性に長けた民間とパートナーシップを組み、事業を進める。

プロポーザルで採択されたのは、鹿島建設グループの構想「fukuoka food industrial park」だった。
「食というのは、誰しもずっと関係すること。食が人をつなげる、集める。だから構想に納得したんです。その狙いはちゃんと当たりましたね」
オオバが全体計画と行政協議を担い、CBREが企業誘致を担った。
「オオバは、本当に篠栗町職員のように働いてくれました。県にも国にも何度も出向いて交渉、説明してくれて。CBREも、外資系の企業である彼らからすれば、小さな自治体との協働は大ダンピングだっただろうなと思います。でも、本当によく頑張ってくれたんです」

必要なノウハウ、スキルを十分に備えた専門家チームが結集した。
この選択が、プロジェクトの骨格になる。

崩れる計画

だが、ここからが本当の苦労だった。
当初2億円と見込んでいた地盤対策費は、調査と設計を進める中で10億円規模に膨らんだ。
「最初は2億って言われてたんですよ。それがね、気づいたら10億ですよ」
「そんな金、あるわけない。でもね、地盤はやらないかんのですよ。やらんと何も建てられん」
買収した山林は、傾斜地で土質も均一ではない。沈下や排水など、宅地として成立させるためには地盤対策が要となる。

やめるか、やるかー。
だが、自治体の事業の場合、どちらでもない。
「民間やったらね、『やめた』って言えるんですよ。でも役場はそうはいかんでしょ。もう、走り出したら止まらん」

計画は崩れている。だが、止めることもできない。
「だからね、やるしかないっていう状況でした」

収支計画は崩壊し、議会は荒れた。
「騙したやろ!」
議場で飛んだその言葉は、今も三浦の耳に残っている。
「まあ、そう見えますよね。結果だけ見たら。でも、こちらも嘘つこうと思ってやっているわけじゃない。辻褄は合わせないといかんと思っていました」

追い打ちをかけたのが、資金繰りと自治体ならではの事情。
「年度内に払わないといけないんですよ。役場ってそういう仕組みですから」
自治体の事業は、年度単位で動く。工事費はその年度内に支払わなければならない。しかし、篠栗北地区産業団地の事業は、先に投資して後から回収する構造だった。
造成や地盤改良に巨額の費用がかかる一方、収入は企業への土地分譲が進んで初めて入ってくる。

通常ならデベロッパーが背負う責任を、自治体が担っている。失敗すれば当然、住民に影響する。
「ほんとにね、『売れなかったら町が終わる』っていう感覚でした」

コロナ、撤退、それでも動かした意思

そうした中、新型コロナウイルスの世界的流行が重なった。
経済活動は止まり、人の移動も制限される。三浦自身も足を運んでいた企業訪問はすべて止まった。
「もう何もできんですよ。会いに行けんし、向こうも動かんし。あれはきつかったですね」
誘致は、次々と崩れていく。
「来るって言っていた企業がやめたりね。契約の直前までいって止まったり。あれは堪えました」
計画通りに進まないことは、もう分かっていた。それでも、三浦は歩みを止めなかった。
「Zoomでずっと会議しよったんですよ。当時はもうそれしかないから」
プロジェクトの関係者たちと重ねたオンライン会議の中で、ひとつの発想が生まれる。「産業団地っていう名前じゃ、やっぱり固いですよね。もっと親しみやすい名前にしたいなって」
案を出し合って決まったのが――「IRUGASAS(イルガーサ)」
「『ささぐり』を反対から読んだだけなんですよ。でもね、覚えやすいし、ブランドとして使えると思ったんです」
愛称に合わせてロゴも完成。土地の6区画をひとつの栗に見立てたデザインにした。

2023年、感染防止のための行動制限が解消され、少しずつ日常が戻ってきた。
団地敷地内では、九州産業大学芸術学部生によるウォールアートが彩られた。開業した企業を中心に「創業祭」も開催した。

コロナ禍を機に誕生したイルガーサのロゴデザイン=2026年4月9日

支えられ リスクと向き合う

すべてが崩れそうになる中で、プロジェクトを支えたのは人だった。
「すがったら助けてくれたんです。PPPで一緒にやってくれている企業、そして銀行。みんな背中を押してくれた」

このプロジェクトは、地方創生という言葉では収まりきらない。
篠栗町が直面していた現実に対して、三浦はリスクを引き受け、構造を変えにいった。
企業が根を下ろし、仕事が生まれ、平日の雨でも人が訪れる。
開業を控える企業や新たに進出を決めた企業が、さらに町へ可能性をもたらす。

「何もしないのが、一番のリスクです」

その言葉どおり、三浦の挑戦と意思決定が、町の未来を象徴している。

6区画にはこれから建設を迎える企業があり、さらに人の往来が増えることが予想される=2026年4月9日

三浦 正(みうら ただし)
福岡県篠栗町長。1954年、篠栗町生まれ。福岡銀行勤務を経て、50歳で退職し、2004年に篠栗町長選挙へ出馬、初当選。以来6期にわたり町政を担う。福岡市に隣接しながら豊かな森林と篠栗四国八十八ヶ所霊場を有する町の特性を生かし、「森林セラピー基地」認定や食品系工業団地整備、脱炭素・バイオマス構想など、持続可能なまちづくりを推進。「日本一個性のある町」を掲げ、自然環境と地域資源を活かした地域経営に取り組む。学生時代はラグビーに親しみ、現在も書をたしなむ。

<次回予告>
鹿島建設、オオバ、CBRE。
このプロジェクトを支えた民間側の視点から、官民連携の裏側に迫る。