横浜ビー・コルセアーズ【経営・戦略編】第一回|描いた戦略の先に何があるか。アリーナの熱狂、そのすべてを背負って立つ

横浜ビー・コルセアーズ
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男子プロバスケットボールリーグ Bリーグ、横浜ビー・コルセアーズ。2026年6月末をもって代表取締役を退任する白井英介氏に、5年間の経営で何を考え、横浜という街にどう向き合ってきたのかを聞いた。第一回は、コンサルタントの立場を離れ、みずから事業の成否を背負って立つ覚悟、そして、チームが長きにわたり積み上げてきた地域との信頼について、その確信に満ちた歩みを追った。

mczk01-biccollsairs-1-img-01かつてコンサルタントとして、企業の成長を本気で支え続けてきた白井。今はみずから事業の成否を背負い、現場のすべてを引き受ける当事者として歩んでいる。

なぜ、数字のプロは収支のすべてを背負う道を選んだのか

白井の歩みは、楽天の人事やコンサルティングファームという、根拠を積み上げ、理屈を尽くす世界から始まった。クライアントの立場で本気で戦略を考え、いくつもの企業の成長を支えてきた白井だが、同時に「外部からのアドバイス」と「みずから結果の責任を負うこと」のあいだにある溝も感じていた。事業の成否をすべて背負う当事者としてのヒリヒリとした手応え。それを求め、白井は、自ら経営の舵(かじ)を握るようになる。彼を突き動かしたのは、自らのキャリアの原点にある心残りだった。

選手としてプロの道を諦めたからこそ、今の経営を動かす力が生まれた

白井には、中学時代にプロサッカー選手への道を諦めたという、悔いにも似た思いがある。

「プレイヤーとしてプロの世界へ行くことは、そこである種、断念したんです」

中学から高校に上がるタイミングで受けたユースセレクション。不合格の通知を受けた当時の彼は、「自分には無理だ」と即座に納得し、受験勉強へと舵を切る。しかし、この時の判断が、後年、彼の中に解消されない違和感として残ることになった。

その違和感を確信に変えたのが、東大ア式蹴球部時代の同期であり、後にプロ入りを果たす久木田紳吾氏の存在だった。自分と同じ環境で学びながらJリーガーとなる男を間近で見て、白井は大きな衝撃を受ける。「自分は諦めて勉強を選んだけれど、両立してプロになるやつがいる」。その事実は、かつての自らの決断がいかに安易な前提に基づいていたかを突きつけるものだった。

プレイヤーではないのなら、マネジメントの側でプロスポーツに携わる。久木田氏と同じ舞台で再会することを目標に据えた白井は、ビジネスの側からアプローチする。まずは新卒入社した楽天で人事を務め、さらにスポーツビジネスを案件として扱うコンサルティングファームへと身を転じる。その一つひとつの歩みは、いつかプロスポーツの経営を担うために、自ら選び、積み重ねてきた道のりだった。

けれども、どれだけ完璧な計画を立てても、現場を離れた場所から眺めるだけでは、チームあるいは街を底から変えることはできない。

スポーツチームは、街という土壌があって初めて成り立つもの。その経営を担うということは、単に数字を追うだけでなく、その地域を変えていくことでもある。コンサルティングファームで培った知見を胸に、白井は横浜という地べたに立ち、自らすべての責任を一身に受ける道を選んだ。

緻密な戦略の先に、自ら泥をかぶる覚悟が必要だった

街を動かすプロセスにおいて、客観的な戦略や計画は不可欠だ。しかし、どんなに緻密な計画を組み立てても、その場所に踏みとどまり、最後までやり抜く担い手がいなければ、街の構造に変化は起きない。戦略を提案する立場だった白井は、横浜という街と運命を共にする経営者への道を選んだ。正しい理屈を語る立場を捨ててまで求めたのは、自分の決断が招くすべてを自分で担う、当事者としての手応えだった。街の未来に自らの身を置くことで初めて、彼は街との付き合い方を見つけようとしていた。

現場で中止を判断する。その職責が言葉を決定づける

客観的な立場から最善の戦略を提案することと、結果のすべてを引き受ける決断を下すこと。この二つは、背負う責任の質が異なる。

白井が現在、ホーム・アウェーを問わず年間60ある全試合に帯同するのは、Bリーグのルールで定められた「実行委員」としての職責があるからだ。

「試合の開催を、最終的に両クラブの代表者同士で合意する必要があります。天災や選手の急病といった不測の事態が起きた際、その場で試合を中止にするか、延期にするか。その最終判断を下すのが代表の役割です」

「今日も、何事もなく無事に終わった」。一見すれば、そんな当たり前の繰り返しに過ぎない。けれど、その穏やかな景色の裏側には、万が一のとき、たった一枚の署名ですべてを引き受けるという、逃げ場のない覚悟がある。

コンサルタントとしてクライアントの成功を真剣に考えていたからこそ感じていた「自分は最後まで担いきれない」というもどかしさを、白井は「自分が決めなければ試合が始まらない」という、泥臭い現場の仕事で塗り替えていった。

5年で3倍にまで増やしたチーム。スタッフ一人ひとりが、自分の地道な仕事が週末の勝ちに繋がっているのだと、迷いなく信じている。5年で3倍にまで増やしたチーム。スタッフ一人ひとりが、自分の地道な仕事が週末の勝ちに繋がっているのだと、迷いなく信じている。

横浜という現場に身を置いた白井が、まず目を向けたもの。それは、あまり語られることのない、この街ならではの本当の姿だった。

効率的な広め方よりも、まずは地元の仲間として認められること

日本最大の政令指定都市、横浜。みなとみらい地区が象徴する新しい都市としての側面がある一方で、この街は独特な地縁の重なりによって成り立っている。埼玉出身でまったく地縁がなかった白井は、外部からの参入者が直面する高い壁を知ることになる。

近道を選ばず、街の懐へ。地元の集まりで重ねた時間

白井が耳にしていたのは、横浜は「地元のつながりが濃い街」という評だ。港町として開かれたイメージがある一方で、身内にはオープンでも、外の人間にはなかなか本音を見せない距離感があると評されることがある。

この街で事業を継続し、仲間として受け入れられるには、優れた戦略より、街で過ごす時間の積み重ねがものをいう。

白井は、行政や財界が持つ一面的な視点だけでは、街の真の姿は捉えられないと考えている。だからこそ、自ら地元の集まりに顔を出し、膝を突き合わせて対話を重ねる泥臭いプロセスを厭わない。

効率よりも、顔を合わせる時間を。人と人とのつながりを大切にし、一度仲間として受け入れてくれればこれ以上なく温かい街だからこそ、何度も足を運び、ともに過ごす一分一秒が、揺るぎない信頼の土台になっていく。

そうして一人の当事者として街の日常に馴染んでいく中で、白井は今の賑わいを支える存在を、肌身で知ることになる。

目の前の熱狂は、街と歩んできた日々の重なりから生まれている

地域で仕事を続けていく上で、避けて通れないのが信頼の積み重ねだ。それは、小手先のやり方で急に作れるものではなく、数年、十数年という月日の重なりによってようやく形になる。

これまでの歩みが支えた、今の景色

ホームアリーナを埋める5,000人のファン。この光景が当たり前になるまでには、クラブが生まれてから十余年の歳月が必要だった。白井が代表として成長を加速させたこの5年間が実を結んだのは、それ以前の月日が街を耕し、土台を作っていたからだ。 それを確信したのは、代表に就いて間もない頃の経験だった。

「初めてシーズンが終わったときの報告で都筑区役所を訪れたとき、驚いたことがありました。私が何かをお願いしたわけでもないのに、窓口の職員の方々がチームのTシャツを着て迎えてくれたんです。まだ実績も出していない新任の代表を、仲間として受け入れてくれていた。その光景を見て、これは10年かけて地域に根付かせてきた信頼の証なのだと実感しました」

今の熱気は、後から来た白井がゼロから作ったものではない。これまで街と切り拓いてきた歩み、そのものだ。その重みを受け止めた白井は、自分の役割を「過去を塗り替えること」ではないと考えた。先代たちが残してくれたものを大切に守りながら、その上にさらに強固な実績を築く。それこそが自分の仕事だと、心に決めた。 この「時を待つ、時を重ねる」ことを尊ぶ視線が、一過性の興行で終わらせない、彼の経営の根幹にある。

十余年かけて信頼を重ねてきた都筑区。5,000人の熱狂は、急に生まれたものではない。これまでの地道な歩みがあったからこそ、今の景色がある。

経営とは、街の歴史に信頼を紡いでいく作業

数字や効率を重視する世界にいた白井が、なぜこれほどまでに時間のかかるプロセスを大切にするのか。それは、まちづくりの価値が統計データではなく、そこに暮らす人たちの記憶の中に残るものだと考えているからだ。

白井は、今の盛り上がりを単なるその場限りのイベントとは捉えていない。

「試合が終わって、お客さんが帰ったあとに何が残るか。市民のみなさんが『自分の街にこのチームがあってよかった』とふとした瞬間に思い出してくれる。その記憶の層こそが、経営の本当の成果だと思っています」

派手な打ち上げ花火を上げるのではなく、街の歴史の一部として、静かに信頼を積み上げていく。この地道な繰り返しこそ、スポーツが街に存在する理由がある。

試合がない日も、街のどこかに「ビーコル」がいる仕組み

この信頼を数十年先までつないでいくために、白井は、チームが街に残り続けるための仕組みを整えようとしている。

これまで活動の拠点だった磯子区(練習場)や都筑区(本社・現ホームアリーナ)に加え、新たなホームアリーナとして中区・関内エリアにも拠点を広げる。横浜市内の3箇所に根を張ることで、街のあちこちで地域の人たちとの接点が生まれる。この点を増やし、並行して対話を続けていくことが、街の信頼を得るための近道だと考えているからだ。

また、組織の形も新しく変えた。単にチケットを売るだけでなく、腰を据えて地域と向き合うためにホームタウン事業部という専門の部署を設けている。

「地域のみなさんと信頼を築くには、5年、10年という長い時間がかかります。来週の試合の宣伝をするのではなく、将来この街で、自分たちがどんな存在でありたいか。そこから逆算して、今やるべきことに人やお金を充てるようにしています」

今の熱狂を次代へ引き継ぎ、街の当たり前の風景になっていく。それこそが、白井がこの街で果たそうとしている経営の姿だ。

地域に根ざし、信頼を育む経営の姿が見えてきた。続く第二回では、その信頼を基盤に、アリーナというハコを使って具体的に横浜の街をどう変えていくのか。スポーツが担うソフトのインフラとしての役割と、都市開発の展望について深く掘り下げていく。

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※ 本インタビューは2026年2月6日に実施しました。

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