企業の取り組み

火を落とした島を、誰が街にするのか。JFE OHGISHIMA2050 前編

作成者: steer株式会社|Jul 13, 2026 11:28:40 PM

JFEスチール東日本製鉄所京浜地区――東京湾岸、羽田空港の対岸に広がる川崎臨海部。100年以上にわたり日本の鉄鋼業を支えてきたこの地で、2023年、高炉がその役割を終えた。跡地として残されたのは、約400ヘクタールに及ぶ広大な土地。その再生に、自ら主体となって挑もうとする人々がいる。京浜臨海土地活用検討班の班長・松本剛氏、主査・阿部智子氏への連続インタビュー。前編では、高炉休止直後の現場の実相に加え、デベロッパーに委ねるのではなく川崎市との共同体制のもと自社で街づくりに踏み出した背景、そしてこの広大な土地と向き合うチームの実像を追う。

第1章|高炉の火が消えた日

2026年3月、川崎・扇島。JFEスチール東日本製鉄所京浜地区の視察に訪れた。バスを降りて建屋の屋上に立つ。轟音がない。鉄の匂いもしない。錆びた配管と鉄骨が曇り空の下に並んでいるだけで、聞こえるのは風の音だけだった。

この場所で働いてきた人々にとって、それは喪失の風景にほかならない。同行した社員からは、口々に「寂しい」という言葉が漏れた。

建屋屋上から望む扇島地区。轟音も鉄の匂いもない

この静けさは、ある日を境に訪れた。

2023年9月16日 午前3時30分。

扇島地区の第2高炉が吹き止めとなった。第1高炉は1976年の火入れから28年間稼働し、2004年に休止している。以降、京浜はこの第2高炉だけの1基体制で操業を続けていた。京浜地区に残された最後の高炉である。

バスで敷地内を20分走っても、なお端には達しない広さだ。かつて原料が山積していたヤードは更地となり、構内を移動するバスの窓から見えるのは、稼働を終えた設備群である。鉄や油の匂いは消え、空気は無機質なものへと変わった。建屋屋上から見下ろす構内に人の気配がない。

建屋屋上から見下ろす構内。錆びた建屋に苔が這い、人の気配がない

視察に同行した社員はこう言った。

「稼働していた頃は常に音がありました。それが今は静まり返っている。やはり寂しさはあります」

京浜臨海土地活用検討班の班長、松本剛は、あの日のことをこう振り返った。

「感傷というより、段取りが一つずつ進み、ついに止まったという認識でした。次のステップを組み立てていく時だよね」と。

JFEは、高炉休止に先立ち「OHGISHIMA2050」構想を公表している。「次はこうなる」という絵を示していたからこそ、松本にとってその日は終わりではなかった。むしろ、次へと踏み出すための切り替えの合図だった。

一方、主査の阿部智子は高炉が止まる半年前に入社している。稼働中の製鉄所を歩いた記憶がある。

「原料ヤードに鉄鉱石やコークスの山がいくつも並んでいて、それだけで活気が目に見えました。それがだんだん小さくなっていって、まっさらになった時には——やっぱり感じるものはありましたね」

松本が付け足した。「音と匂いがなくなるのは、寂しいですよね。」

高炉の火は消えた。では、この400ヘクタールの跡地をどのように転換するのか。

第2章|なぜ自ら手掛けるのか

条件をつくる側に立つ

高炉休止により、羽田空港に近接するエリアに約400ヘクタールの土地が生まれた。選択肢は多様である。売却、賃貸、自社活用——。JFEは自ら新しい街を創る道を選んだ。なぜ、その道なのか。

既に条件が整った土地については、民間への売却や共同事業が進められている。実際、扇町地区はニトリへ売却し、南渡田地区ではヒューリックとの協働が実現している。

扇島は現在、公道アクセスがなく、そのまま売っても、値はつきにくい。このため、段階的に基盤を整備し、その価値を顕在化させていく。さらに、この土地には大水深岸壁や発電所といった既存アセットが存在するが、これらは適切な用途と結びついて初めて価値を発揮する。

そこでJFEは、更地のまま手放すのではなく、公共性・公益性の高い土地利用を志向し、公共インフラの整備へとつなげ、土地の利用価値そのものを引き上げる道を選択した。

「使える状態」で引き渡す

南渡田地区北側(約9ヘクタール)は、その実例である。JFEはまず宅地として利用可能な状態にした上で、ヒューリックへ売却した。ヒューリックの上物建設と並行して、JFEは道路・公園の整備を進めている。JFEが骨格を組み、相手に肉付けを委ねる形だ。

出会いとタイミング

価値を作るには、相手と時機がそろわなければならない。松本が挙げたのが、岸壁の使い道だ。

扇島の岸壁は、大型クルーズ船の受け入れにも対応できる。だが松本は、別の可能性に目を向ける。「液化水素船は、今でなければできない」それは、水素社会の実現を掲げる国家戦略と軌を一にする、液化水素の商用実証事業の誘致である。この機会を逃せば、同様のプロジェクトがこの地で実現する可能性はなくなる。松本は「出会いとタイミング」と表現する。

JFEは、自ら土地の価値を高めて活用する戦略を採り、相手と時機が合うまで待つ。

第3章|空いた土地に向き合う組織

先行した官民連携

2021年2月、高炉休止前の段階で、JFEホールディングスと川崎市は土地利用に関する協定を締結した。
具体的な事業計画は存在していない段階で、行政と「将来像を共に描く」という枠組みを整えた。

「アマチュア集団」の内側

松本は自らを「アマチュア集団」と表現するが、その言葉はそのまま受け取れない。

プロジェクトを動かすのは、JFEホールディングス「京浜臨海土地活用検討班」12名、JFEスチール「京浜臨海開発部」53名。ホールディングス側が計画・誘致・自社事業の構想を描き、スチール側が解体や基盤整備を実行する。松本の言い方を借りれば、ホールディングスは「口を使う」側で、スチールが「金を使って壊し、つくる」側だ。

京浜臨海土地活用検討班には、他地域の製鉄所跡地開発を経験した人材も含まれる。また12名中4名がキャリア採用者だ。

阿部智子もその一人であり、鉄道会社で駅改良や輸送改善プロジェクトのプランニングとマネジメントに携わってきた。入社は2023年2月。高炉が止まる半年前だった。

阿部智子氏。鉄道会社で土木プロジェクトの計画と推進を経験してきた。

400ヘクタールの地下には使われなくなった配管網と強固な地下構造物が残るが、道路、上水、工水、電気、ガスなどの公共インフラは一つもない。交通アクセスもゼロから構想しなければならない。土木のプロが必要だ。阿部が、その任にあたった。

JFEが「アマチュア集団」と自称するのは、不動産開発の型を持たないという意味だ。デベロッパーが持たないもの―港湾や地下インフラといった既存のアセット―を、この集団は持っている。そこに建設・計画のコンサルタントの力を組み合わせて、全体の絵を組み立てている。

パートナーの川崎市は、「臨海部国際戦略本部」に扇島と南渡田の各地区に専任の担当者を置き、JFE側の検討班と日常的に協議を重ねている。2024年5月には、道路などの公共施設用地をJFEが無償で提供することを定めた追加の協定も結ばれた。さらに現在、川崎市はJFEと連携して、国の支援制度「GX戦略地域」への選定を目指している。

阿部は入社前にこう言われていた。「正解はない」。

「そうは言っても、あるだろうと思いながら来ました。来たら、やっぱりないなと思って」

前職の鉄道会社では、課題があればそれを解くプロジェクトが立ち上がった。だがここでは、どの課題を先に潰すのか、どう動けばいいのか、前例がない。1年目は、製鉄所との共存と開発の優先順位を判断してもらうためのストーリーの組み立てと材料づくりに奔走した。

松本はその環境を、意図してつくっている。

「答えが見えない仕事なんです。議論をしろと、そう言っています。」

「正解がない」は弱みではなく、変化に対応するための設計思想といえる。

体制は動いている。問題は、この空いた土地に誰が来るか、だ。

前編では、高炉停止という転換点と、400ヘクタールに向き合う体制の実態を見てきた。続く後編では、この土地で実際に何が動き始めているのか。異なる経験を持つ二人の協働、そしてこの場所の将来像を追う。

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