福島県郡山市を本拠地とする、プロバスケットボールクラブ・福島ファイヤーボンズ。東日本大震災を原点に生まれたこのクラブは、行政と深く組みながら、地域に根を張ろうとしている。老朽化した市の体育館をどう新しくし、収益の柱をどうつくり、街へ賑わいを広げるのか。代表取締役社長・西田創氏への取材から、プロスポーツがまちづくりの担い手になっていく道筋を、前後編でたどる。
前編は、老朽化した市の体育館が、新しいアリーナに生まれ変わるまで。そこに、福島ファイヤーボンズがどう関わったのかを追う。
郡山市に、古い市営の体育館があった。郡山総合体育館。1974年の竣工から半世紀、市民が汗を流す場として親しまれてきた。だが、建物の傷みは隠せなくなっていた。
2025年の春、その体育館が生まれ変わる。5,000席規模のアリーナになり、「宝来屋ボンズアリーナ」という名がついた。市民が体を動かす場であることは変わらない。そこに、プロバスケットボールの試合で大勢の観客を迎える役割が加わった。
この生まれ変わりを支えたチームがある。郡山市を本拠地とする、福島ファイヤーボンズ。男子プロバスケットボールのリーグ、B.LEAGUEの2部に所属する。運営は、福島スポーツエンタテインメント株式会社だ。
プロスポーツのチームと建物の関わり方は、さまざまだ。自前のアリーナを構える例もあれば、行政が整えた施設を借りる例もある。郡山では長らく、直すのも維持するのも市の役目だった。福島ファイヤーボンズは、その体育館を借りて試合をしてきた。だが、このチームは、借り手の立場にとどまらなかった。
古い公共施設をどう手入れしていくか。それは、どの街もいつか向き合う問題だ。限られた財源で、誰と組んで動かすか。ただ借りるだけの相手か。それとも、施設に必要な条件を持ち込み、資金を出し、運営の責任まで分かち合う相手か。郡山で起きたことは、その問いに一つの答えを返している。
改修には、PFI(Private Finance Initiative)という方式が選ばれた。民間の資金とノウハウを使って公共の建物を整え、その後の運営まで任せる仕組みだ。事業の主体は、あくまで郡山市にある。市は、改修工事とその後10年間の運営を、一つの事業としてまとめて発注した。受け皿となった民間の事業会社が、工事と運営を引き受ける。直して引き渡して終わりにせず、その後の使われ方まで民間が責任を負う。
福島ファイヤーボンズは、この事業会社に25%を出資し、取締役も置いた。代表を務めるのは、郡山に本社を置くスポーツ用品大手のゼビオ。アリーナの名は、地元で発酵食品をつくる宝来屋本店が、命名権で支えている。
クラブはさらに、施設の中身にも声を届けた。自分たちが挑む上位カテゴリー、B.PREMIER(Bリーグが2026-27シーズンから始める新しいトップカテゴリー)への参入には、5,000席規模のアリーナが要る。その条件を市に伝え、その基準は改修の仕様に盛り込まれた。完成した施設を借りるのではなく、どんなアリーナにするかを決める段階から、声を寄せていた。「本当に、ただ予約して使ってるというだけじゃない」。西田創社長は、そう話す。
もっとも、税で建てた公共の建物を新しくする主役は、市である。クラブはそこに、施設への条件と、出資と、運営の責任を持ち寄った。そこまで踏み込めたのは、市との間に信頼を積んでいたからだ。企業からの寄付を市に呼び込む取り組みなどを、先に重ねてきた。地域のために動くチームだと、行動で示していた。その積み重ねは、後編でたどる。
借りて使う立場から、ともに整える側へ。郡山のチームは、公共の建物がよみがえる道のりに、深く関わった。
では、市とチームは、それぞれの事情を、どうやって一つの事業の上で重ね合わせたのか。
公共施設の老朽化と、その更新費用をどう賄うか。これは、どの行政にも共通する課題だ。建てた建物は、いつか必ず古くなる。直すのか、建て替えるのか、手を入れずに使い続けるのか。財政の制約のなかで、判断は先送りされがちだ。郡山市の体育館も、長く動かないままだった。
難しいのは、ふつうの改修ではなかった点だ。プロスポーツが求める5,000席という規格を、どう組み込むか。市民の税を使う以上、特定のチームへの便宜と見られれば、計画は通らない。プロ向けの設備は、市民の施設として大きすぎないか。そんな声も当然あった。
答えは、市とチーム、それぞれの必要が、一つの事業の上で噛み合ったことにある。市には、老朽化した施設を更新する必要があった。チームには、B.PREMIERの基準を満たすアリーナが要るという事情があった。
B.PREMIERは、Bリーグが2026-27シーズンから始める新しいトップカテゴリーだ。参入には、5,000席規模のアリーナ、平均4,000人ほどの集客、一定の売上といった基準が課される。大事なのは、その基準が、勝敗だけで決まるわけではないことだ。従来、上のカテゴリーへの昇格は、シーズンの成績で争う入れ替え戦にかかっていた。ファイヤーボンズは、プレイオフに進んでも、その壁を越えられずにいた。勝ち上がりだけを頼みにすれば、昇格は運任せになる。だが、アリーナを満たし、観客を集め、地域を盛り上げる。それができれば、勝敗とは別の道で、上の舞台に手が届く。チームの努力で、たぐり寄せられる目標だった。
この見立てを、社長の西田は市に伝えた。西田によれば、市のスポーツ振興課や政策課が動き、改修の仕様に、B.PREMIERの基準が盛り込まれていった。事業の規模は、百億円ほどにふくらんだ。
道のりは平坦ではなかった。市長に正面から訴えても、話はすぐには進まない。郡山ほどの規模の市は、トップに一言通せば動くわけではない。西田は、そう実感していた。決裁にかかわる人を、一人ずつ訪ねて回る。誰の、どの判断が物事を動かすのか。その勘どころは、西田の来歴に根ざしている。
西田は、ラグビーの選手だった。引退後はNECで、官公庁向けの営業に就く。入札の最前線で、行政の意思決定がどう動くかを、身体で覚えた。その後は、組織コンサルティング会社の識学で、いくつもの経営の現場に立ち会う。選手、営業、コンサルタント。ばらばらに見える来歴が、アリーナの計画という場面で、一本につながった。
相手の必要に乗る。それが、公民連携の勘どころだった。「『勝ちます、優勝します』ではなく、『街の賑わいを作ります』と言えれば、市は無視できない」。西田はそう語る。スポーツに関心のない担当者にも、響く言葉になるという。勝利ではなく、街の賑わいを約束する。差し出す言葉が変わったとき、市にとっても、老朽化した体育館を、市民の利用とプロの利用の両方に応える施設へ更新する道がひらけた。
では、新しくなった施設は、地域に何を返すのか。
アリーナは試合のある日だけ人が集まる。多くの人は、そう思っている。ホームの試合は、年に30試合ほど。残りの日々、この大きな建物は、地域に何を返すのか。
福島ファイヤーボンズは、新しくなった施設を、日常の場としても使っている。市民が体を動かすプログラムを、郡山市と組んで持ち込んだ。
ここで効いてくるのが、施設が「市のもの」だという点だ。民間が建てて運営する施設なら、試合のない日に一般の人が気軽に立ち寄るのは難しい。チケットを買った人のための場所、という色が濃くなる。
だが、ここは市の体育館だ。公共の建物だからこそ、市民にとって身近にできる。予約の取り合いといった悩みは生むが、それは暮らしに近い場所である証でもある。その身近さの上に、チームが「憧れの場所」としての中身を入れていく。プロが使い、市民も使い、子どもが憧れる。その重なりを、西田は施設の値打ちだと考えている。
チームが持ち込んだのは、子ども向けの運動プログラムだ。きっかけは、市からの相談だった。単独では立ちゆかなくなった部活を、どうにかできないか——市からそう持ちかけられたと、西田は振り返る。
地方では、少子化のなかで、一つの学校だけで部活を成り立たせるのが難しい。指導者も、人数も足りない。だが、西田が目を向けたのは、部活よりも、その下の世代だった。部活に入るのは中学から。その前に子どもが運動を嫌いになれば、競技をする裾野が細る。子どもの数が減るうえ、体を動かす子まで減れば、土台は二重に痩せる。
そこで始めたのが、幼児から小学4年生までの運動の場だ。月3,000円で通い放題。月謝は、ほかの習い事より大きく抑えた。「運動教室」とは名乗らず、「お兄ちゃんたちと遊べる場所」と呼ぶ。教えるのは、クラブのユースのコーチや、ときにトップの選手。資格を持った者があたる。
夕方、子どもたちがアリーナに集まり、曜日ごとに違う遊びに興じる。プロの知見が入った場で、体を動かすことそのものを好きになってもらう。勝たせるためではない。嫌いにさせないために、間口を広くする。始めて、丸1年が過ぎた。
こうした場は、子どもだけのものではない。市の体育館である以上、一般の市民も使う。プロが試合をする同じ床で、市民が体を動かす。憧れの選手がいる場所が、日常の延長にある。その近さは、民間が建てて貸し出す施設には出しにくい値打ちだ。
試合の興行とは別の時間に、施設は地域の役割を担いはじめている。プロスポーツの施設は、使い方しだいで、地域の公共財になる。
だが、施設を回し、地域に開きつづけるには、財源がいる。指導者にも、運営にも、人件費がかかる。人口の減る地方で、中小のチームは、収益をどう支えるのか。
プロフィール
西田 創(にしだ・つくる)
福岡県出身。東福岡高校、立教大学を経て、NECグリーンロケッツでラグビー選手としてプレー。現役引退後はNECで官公庁向け営業に携わり、立教大学ラグビー部のコーチ、ヘッドコーチも務めた。2019年に組織コンサルティング会社の識学へ転じ、2020年に福島ファイヤーボンズの副社長、2021年5月に代表取締役社長へ就任。
あわせて読みたい——後編「震災を原点に、街のシンボルへ」。
整ったアリーナを得ても、地方クラブの収入には限りがある。福島ファイヤーボンズは、震災から生まれた歩みを支えに、企業版ふるさと納税という三本目の柱をつくり、街に賑わいを広げようとしている。その収益と地域づくりを、後編で追う。